前回は、27札所から28番札所に向かう途中の道のり。お昼休憩をすませて先へ進むところまででした。
(今日は11日目歩き遍路2018年5月21日の旅日記)
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前回はこちら
②11日目『遍路という文化の重み』27番札所神峯寺~28番札所大日寺

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青空にケーズデンキのお店の色がはえるな~。
こういう、いつも普通に見ていたものを目にすると何だか嬉しくなる。
安芸球場前ここはすぐ上が駅になっている。
この建物はベンチなどがあり休憩所?になっているみたい。
よし、今日はここでテント張れそうだな。様子を見よう。
このとき、まだ14時前だったため、近所をぶらついてみることに。
おお、近くのローソンでアイス売ってた(*’ω’*)
たまにはいいよね。
広場発見。さっきのところがダメでもここでもテント張れそうだな。
ちょうど15時になった。とたん、広場の時計が大きな音楽とともに動き出した。
いいタイミング(*’ω’*)
今日はなんとかお風呂に入りたいと思い、近くに銭湯がないか、スマホの電源を入れ検索してみる。
野宿だとスマホをいつ充電できるかもわからないので、普段は電源を切り、ほとんど使うことがない。
まあ、こういう旅の時くらい使用を控えたいよね。
広場から歩いて15分くらいのところに、ちょうどよく銭湯を見つけた!
やっているかわからないけど行ってみる。
やってました(*’ω’*)安芸市にある「元気館」
久しぶりのお風呂。
ちょうど、元気館の管内に入ろうとするとき、
中からおばちゃんが出てきた。
すれ違いざま、
おばちゃん、「ちょっとこれほら、持っていきな」
そういって缶コーヒーをくれた。
おばちゃんは、そのまま自転車に乗りすぐに行ってしまった。
今日、3回目のお接待。
普通に生活を送ってて、知らない人から一日3回も物をもらうことなんてないよね。
四国ってとっても特別な場所なんだ。
ー。
お風呂を出て、海沿いの道を歩きながら広場の方へ戻る。
もう夕暮れ時に近い時間とはいえ、まだじっとりと汗をかく。
お風呂場で洗った服を乾かすの絵
海辺に座って瞑想をする。
瞑想の後は、先程いただいたコーヒーと、お昼に残しておいたトマトを食べる。
瞑想をして、コーヒータイム。それから暗くなるまで読書をした。
このとき読んでいた本が、今の自分にピッタリの描写で笑った。
荷物が重い重いといいながら、本は3冊持ってきた。
しかもハードカバーの本2冊、文庫1冊。
読み終わったら持ってきたレターパックに入れて即送り返すつもりだったけど、
昼間は歩いているし、夜は誰かと一緒だったり、空いた時間には日記を書いたりしているから、意外と読む時間がない。
だけど、旅の途中で読む本というのは、普段の何倍も心に響くんだ。
旅先で本を読む贅沢はこの上ない。
海辺でたそがれていると、一人のおじさんが近づいてきた。
おじさん「おめーどっからきた?」
ぼく「え、埼玉です(*’ω’*)」
命令口調のおじさん、
だけど、どこか憎めない感じの人。
ちょっと雑談をする。
おじさんは前、警察署に勤めていて、
現役を引退して、時間がある時にはこうして町内の見回りをしているのだとか。
そして、お遍路さんなんかを見かけると声をかけているといっていた。
おじさん「今日は飛行機雲がよくでてるな」
ぼく「ほんと、奇麗な空ですね」
最高の空。知らないおじさんと一緒に見上げる。
・・・。
もっと違う人と見たかったな(;・∀・)
おじさん「おめー今日はどうすんだ? 野宿か?」
ぼく「はい、そうです(*’ω’*)」
おじさん「どことまんだ? 乗れ! いいとこあっから」
おじさんはそう言って自分の車に乗れといってくる。
歩き遍路をしていると、こうして親切で車で送ってくれたりする人もいるとは聞いていた。
だけど、歩き遍路の人の中にはこだわりがある人もいて、絶対車には乗らず、自分の足で歩きとおすという人もいるらしい。
僕は、もしそういう状況に出くわしても、そういったこだわりよりも、出会いや親切心にこたえることを優先したいと思ってきた。
それに、行き先はわかってる。
おじさんは球場前にいいところがあると言っていた。
結局、一度行った場所に戻るだけだ。
だから、歩く道をショートカットしたことにはならない。
まあ、それはどっちでもいいけど。
おじさんは僕の大きな荷物を車に積んでくれて、球場前まで数百メートルの道を送ってくれた。本当はもっと海辺で海を眺めていたかったけど、親切心はしっかりと受け止めておきたい。
球場前まで連れてきてもらい、丁寧にお礼をいい、納札を渡してから別れた。
今日4回目のお接待だった。
地元のおじさんが「大丈夫」と言ってくれたおかげで、安心してテントを張れた。
今日はそれほど歩いていない。だけど、何だか充実した一日だった。
僕はこの旅でいただくどんな親切も受けていきたいと思っている。
というのも、親切って、するほうもとっても勇気のいることです。
遍路をしていると、中には、態度の悪い遍路の話もたくさん聞きます。
せっかくいただいたお接待を金額が少ないからといって投げ捨てた人がいたなんて言う話も聞きます。
そんな対応をされたらせっかく親切をしてくれた方はもう誰にもしようとは思わないはずです。
親切を受けるというのは、自分だけの良しあしではなく、次の人へつなぐことだとも思っています。
自分が快く親切を受け止めることで、その方はきっと次のお遍路さんにも親切にしてくれます。
そういった循環が、こうして今の遍路文化を紡いできたんだと思います。
そういった心の在り方のすべてが遍路文化なんだって思います。
だから僕はこれからもすべての親切を受けていきたいと思う。
例えそれが自分にとっては不都合なことであっても。
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